話題のあの人に生い立ちやお薦めスポットを紹介してもらいます

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縁
誰に教わるでもなく、自力でビジネスを開拓していくなかで、普通に生活していては知る術もない社会の光と影、生と死を垣間見てきた歌舞伎町案内人、李小牧氏。十数年歌舞伎町をガイドしてきた彼が語る歌舞伎町とは!?
自由を求めて日本へ
―― 李さんが来日を決めた動機はなんですか?
来日する前の6年間、故郷長沙市を離れ、深圳で貿易の仕事をしていました。そのサラリーマン生活の傍らで、私は独自に中国から留学生を日本とオーストラリアへ送るエージェントをやっていたんです。サイドビジネスも順調に進んでいたのですが、当時付き合っていた彼女と入籍をしないままに、いわゆる同棲をしていて、それが公安局にみつかって留置所に入れられました。そのとき、中国はダメだって、もっと自由な国へ行きたいと思いが高まり、釈放された後すぐに籍をいれ、日本へ来る手続きを踏んだんです。
―― なぜ日本を選ばれたのですか?
エージェントの仕事をしていたので、日本へ来る術をもっていたからです。あの頃の日本は、入管(入国管理)が今よりずっと厳しく、日本への入国許可をもらうには、まず外国人の身元保証人を立てないとなりませんでした。もし、なにもコネクションがない状態だったら、そこまで規制が厳しくなかった欧米諸国を選んでいたかもしれないです。当時の私は何よりまず、自由が欲しかったから。
自由の裏付けは、性に関する文化の違い
―― では、保証人を立ててまで日本に決めた理由はなんでしょう?
表向きには3つあります。

まず日本がアジアの国であり、東洋人の顔を持つ私に、差別は少ないと思いました。次に日本が漢字を使う国だから、たとえ日本語を知らなくても、漢字から予測をつけ、なんとか生活ができると見込みました。そしてもうひとつ。当時アジアで唯一の世界的なファッションショー「東京コレクション」が日本では開催されていて、ファッションの先端にいる国だったからです。

―― 表向きというと、その他にも理由が?
あと、内緒の理由が1つあります。これが日本のイメージで先行したことだったのですが、日本がスケベな国ということ。

当時の中国は、同棲すら犯罪とみなすほど、男女の色情に対して厳しく取り締まりが行われていました。 そんな中、日本は女の子の遊びだって自由にできる状況にあり、その要素は自由になるという意味で、大きかったです。

日本に来れば、ファッションの先端を知ることができ、スケベもあって、自分の力で成功を勝ち取るチャンスもいっぱい。色々なことが自由に開放されている日本は、中国からみると、まさに夢の国でした。
ファッションが自分を守り、運をもたらす
―― 李さんは、東京モード学園にて4年間ファッションの勉強をされ、中国ファッション誌「時装」の特派記者もさいれています。李さんにとってファッションとはどんな存在ですか?
自分に運を呼び込むもの。もちろん、かっこつけたり、女の子に声を掛けるときにも、いい服を着るけど、ガイドという仕事をする上でも、話を聞いてもらわなければならないですよね。

話を聞いてもらうためには、信用してもらわないといけない。信用してもらうには、ピシッとした格好であることがまず第一にあって、態勢が整ったら、礼儀、謙虚さなど日本で学んだ大切な心の姿勢で向き合うことが重要です。いい服を着ていると、自分の心がキリッとします。生きていく上で、いいファッションセンスを持つことは自信にもなり、いい服が、自分にいい選択肢を運んできてくれると信じています。
姿を消さない、目立っていることが私を強くする
―― 『歌舞伎町案内人』の中で、福建語を話す強盗団に押し入られ、生死の境目に立たれたエピソードを書かれていますね?
はい。今生きていられることが奇跡であるほど、殺されてもおかしくなかった事件です。

―― 事件が起きた翌日、その犯人がいるであろう歌舞伎町に臆することもなく姿を見せましたが、恐怖心はなかったのですか?
翌日ではないですよ、当日です。襲われた早朝、犯人が逃げ去った後、警察の事情聴取を受け、その夜から歌舞伎町に立っていました。

―― なおさら、体を休める事もなくどうして立つことができるのですか?
犯人が様子を伺い私を観ていることはわかっていたから、だからその日は特に立っていなくてはならなかった。だって、もしここで姿を出さなかったら、犯人はきっと私のことを「李は、怖くて逃げ出した。怖気づいた」と思うでしょう。

アイツらを喜ばせたくないし、くやしいじゃない。だからすぐに歌舞伎町に立ちました。

―― 全く恐怖心はなかったと?
全然。むしろ犯人側のほうが警察に捕まらないかと怯えていたはずです。私のことも、周囲を警察が見張ってる思い、下手に近づけなかったはずです。

本当とウソ、いろいろありますが、警察にマークされてるとか、私の周囲を警察が見張っていると、私はわざと人に伝えます。そうやって警察の陰をちらつかせることで、悪い奴らからも狙われにくくなりますし、犯罪への誘いもかからなくなります。目をつけられている人と組んだら、巻き添えを食うことになりますからね。

―― 歌舞伎町ならではの護身術ですね。
この事件のお陰で、私はさらに強くなれました。もし、時間を空けていたら、きっと私は弱い人間であると判断されています。逆に臆せず堂々と立っていたことで、相手に強さをみせつけることができました。歌舞伎町では、それがよっぽど自分を守ることになるのです。

―― なるほど。歌舞伎町で生きていくことで遭遇する危険が心を鍛え、その危機を乗り越えたとき得られる強さ、それが歌舞伎町で生きる魅力のひとつなのかもしれません。
【処】街のあの人がお勧めするとっておきのスポットをご紹介!
中国菜館   (ちゅうごくさいかん)
台湾の大衆料理を100種類近く揃えた家庭的な「中国菜館」。
サラリーマンから、カップルまで、幅広い層のお客さんで賑わう店内。
『歌舞伎町案内人』にも度々登場した「すっぽんスープ」が頂ける台湾屋台料理店。並ぶメニューも本場ならでは頂ける料理が多く、日本で食べられる中華料理の中では、本格的な大衆中華料理店。李さんが、普段からよく利用しているお店です。
中国菜館
住所 新宿区歌舞伎町1-29-1 [地図をみる]
電話番号 03-3232-4455
営業時間 【年中無休】11:30〜14:00/17:00〜翌2:00
(木曜日は夜のみ営業)
交通手段 「新宿」駅東口から「西武新宿」駅方向へ徒歩5分
Menu 甲魚湯(すっぽんスープ)1,575円
蝦松(蝦と椎茸の味噌炒め)525円
叉焼腸粉(チャーシュー入り腸粉)714円
焼鴨 945円
飲茶各種 一皿525円
 
街の案内人プロフィール
李 小牧(リーシャム) 氏

▲ ルノアール新宿コマ劇場前店にて
1960年 中国湖南省長沙市生まれ

88年2月に語学留学生として来日し、翌年4月から4年間、東京モード学園にてファッションの勉強を行う。学生生活に並行して、学費、生活費をまかなうため、外国人観光客を歌舞伎町のお店へ案内するという、通訳兼ガイドを始める。

学園卒業後は、ガイドを主幹ビジネスにおき、その傍らで中国のファッション誌「時装」の日本記者とし、ファッションジャーナリストとしても活躍。

2002年8月、日本の社会を歌舞伎町を舞台に表現した「歌舞伎町案内人」を皮切りに、ドキュメンタリー作家という頭角も現す。なお、歌舞伎町ガイドビジネスは現役である。
自転車から車へ。日本で成功を遂げた証のひとつでもある、ご自身の車の前で一服。
ガイドを始めた初期から、根城としてきた一番街通り。
靖国通りと歌舞伎町一番街の交差点。ネオン、人が賑わう風景は、李さんが新宿で好きな風景のひとつ。
新宿駅東口にて。携帯が現在のビジネス必須アイテム。20分に1回は着信がある忙しさ。
シャツはすべてオーダーメイドで、腕にイニシャルの刺繍を入れています。右腕には、5番目の奥さま莉莉さんからもらった中国の数珠をお守りに。
上海本場の家庭料理の味を楽しむことが出来る「上海小吃」。歌舞伎町繁華街の裏通りにあることから、できれば女性一人よりは大勢で行きたいお店。
2001年9月、歌舞伎町ビル火災が起こったビル「明星56」の前にて。焼けたビルは当時のまま歌舞伎町に姿を残しています。
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